何もしたくない自分を責めないで!心が壊れる程のストレスを受けてる証拠です

心が壊れる程の強烈なストレスを受けている


今、あなたは…

「何か1つのことでさえする気力がない」
「ただひたすらボーッとすることしかできない」

 

そんな風に感じていませんか?

 

そんな風に思っているあなたは、あなたのキャパシティ以上、頑張り過ぎているのかもしれません。

 

今の職場で、または、辞めてしまった職場で、頑張って、頑張って、頑張り抜いたのに、様々な理由によって心が疲弊して、心に大きな傷を負ってしまい、大切なものが壊れてしまったのかもしれません。

 

ここまでツラく、また無気力になってしまったのは、あなたが心を壊される程の強烈なストレスを受けてしまったからです。

実は…、そんな状態になった時期がありますので、よくわかりますが、本当に何もかもが面倒に思えていました。

 

朝起きて起き上がる、顔を洗う、歯を磨く、服を着替える、何かちょっと物をとる、そんな普段の最低限過ぎるような行動さえも、もうどうでもよくて、面倒でしかなくて、どうしようもない無気力さに襲われる…。休みの日にはいつも1日中寝てしまう…そんな状態でした。

 

自分のことを、「こんなことすらやる気になれないなんてダメだ!」と責めてみたり、「みんなもっと努力してるのに、こんなことすらできないなんてダメだ…」と惨めになってみたり…。疲弊した心でさえも責め続けていました。

疲弊するほど頑張った自分を褒めてあげる


でも、違ったんです。違ったんですね、自分への向き合い方が!

 

これ程までに心は無気力で反応しないのに「まだ頑張ろうとする」のではなく、そんなにまでも頑張ろうとしている自分を、まずは褒めてあげることが大切だったのです。

 

疲れや我慢、ストレスが原因なのだから、「毎日をそれ程までに頑張っている証拠なんだ」と自分自身をまずは認めてあげて、労わってあげることが大切だったのです。

 

休日に「何もしたくない…」と感じて1日中ゴロゴロしてしまう自分を責めたりする必要はありません。惨めに思ったりすることもしなくていいのです。

 

やる気スイッチが入ったときには、何も思わなくても自然と頑張れるわけですから、自分のキャパシティ以上頑張り過ぎたときにムチを振ることなどしないであげてほしいのです。

 

いいじゃないですか、今週もあなたはよく頑張った、のです。

 

何度も繰り返しますが、まずは「頑張った自分を認めてあげること」そして、「今の自分にはここが限界なんだ」ということを認めてあげることが大切だと思います。

 

また、そんな無気力なときというのは、何かの「変化の兆候」、サインだということもあります。

 

なぜ無気力なのか、携帯のメモ機能に打ち出してみたり、紙に書きだしてみたりすると、嫌なこと、つらいこと、本当はしたかったことなどが整理されていき、いつの間にか、「録画してたTVでも観てみようか」などといった気になって、お笑い番組でいつの間にか笑っている自分がいたりします。

 

少し気力が湧いたら何か気分転換を!


自分を労わる声をかけてあげられましたか?

 

こんなに心が壊れる程、

「よく頑張ったよ!」
「すごいよ!あんな風に頑張れて!」
「十分やってる、素晴らしい!」

 

そんな言葉で自分に優しくし、少しだけ心が軽くなって、ゆっくり過ごせたら、次は自分のリラックスできることをやって過ごしてみるのはいかがでしょうか。

 

■深呼吸をして、ストレッチをしてみる
■ゆっくり散歩をしてみる
■好きなTV、映画、音楽、雑誌に触れてみる
■美味しいもの、大好物を食べてみる
■1番お気に入りのファッションをしてみる
■スポーツなど体を動かしてみる
■近場のリラックスできる場所に行ってみる
■お気に入りの場所へ少しだけ遠出をしてみる
■素晴らしいと感動した景色の場所に行ってみる
■話を聞いてくれそうな他の誰かに状況を話してみる

 

自分の「してみたいかも」と思えるところを何か1つでも試してみて、少しずつ心が軽くなっていったら、嬉しいなと思います。

 

ちなみに、「涙を流す」というのはストレス解消に医学的にも効果があると証明されているようで、何か泣けること、例えば映画や音楽で、思いっきり泣いてスッキリ!というのも1つかもしれません。

 

根本的解決は理由を知ること


やはり、そんなリラックスをしても「そうなった原因」がわからないことには、心はモヤモヤ状態のままです。

 

しかしながら、この原因というのが、なんとも突き止めるのが難しかったりします。

 

それを突き止めるのは、やはり前述の通り「思っていることを書き出すこと」が1番だと思います。

 

また、心理カウンセラーに相談してみたり、人生の大先輩である人に話してみたり、またあるときは、映画や本の一言にハッとしたりすることもあるかもしれません。

 

ちなみに、「人生に生きる価値」を求めている人ほど、この「無気力状態」になる可能性が高いようです。

 

価値を追い求めて生きると、価値を見つけられずにいる間というのは生きている意味がないということになるので、大変ツラくなってしまいます。

 

そうではなく、「価値、大義名分などいらない」と思ってみてはいかがでしょうか。

 

確かに、そういった価値を見出せた人、大義名分がある人、は素敵です。

 

でも、その価値を、大義名分を、見出せなかったら?それがなかったら?これかなと思いながらも実は違うのではと引っかかっていたら?生きている意味さえないのでしょうか?

 

そんな自分を苦しめるだけの大義名分ならいらない!と、いっそのこと、その想いを手放してしまったほうがいいのではないかと思っています。

 

価値や大義名分は「あってもいいし、なくてもいい」のではないでしょうか。極論、この世に生を受けて、今生きている。その奇跡だけで本当は十分なのですから。

 

「いつか、その価値や大義名分に出会えたら、それはそれで素敵だな」

 

そう思って、今日もこのブログを書いています。