信頼されない人は「あきらめのシャッター」を早い段階で下ろしている
信頼される人の特徴をあげたとき「ビジネスマインドとマナーの体現、約束や期限を守る、口が堅い、誠実で責任感がある、矛盾がなく一貫性がある」などありますが、ワタシは極論「今の状況で自分ができる最大限を誠実に伝え続けること」だと思っています。
どこか信頼できない人というのは、「絶対裏切らない」なんて人間なんだから絶対てことはない、これだけやってできないんだから無理、そもそも相手が理不尽なことを言ってるから相手にしなくていいと邪険に扱う、など、そういう言葉を口実に、早い段階で行動するシャッターをおろしているように感じます。
事実としてそれはそう。できないこともある。無茶なことを求めらることもある。でも、ワタシはこの言葉に「あきらめ」を感じてしまって、寂しくなってしまいます。この思考でいる人に本当の意味での信頼を置けないし、こういう人を信じないだろうなと思います。
究極、真に信頼される人とは?
どこか信頼されない人に足りないもの。それは「ひたむきさ」だと思います。
何事においても、これは解決できないかもしれないという難しいことがあったとき「もうダメかもしれない…」ということは大いにある。難しいなら難しいほど、裏切ることになるかもしれない。でも裏切らないよう極力寄り添ってみようと、その人からその人なりの「精一杯」を感じたとき、思いの強さを感じたとき、なんとも言えない満たされた感情になります。
そんなとき、心の底からあったかくなります。そのひたむきさに涙が出そうになります。この人いい人だなぁ、信頼したいなぁ、ワタシにできることはないかな?と自分にできることまで探し始めます。
確かに1人の人間にできることは限られているけど、自分の目の前にいる人、自分が関わった人くらいにはそうありたい。この人のために何ができるだろう?そう思って寄り添い体現し続けることで信頼以上の感動が生まれたら、そこにやわらかい空間ができる。そんな空間に居たいし、その空間を生み出せる人になれたらいいなと思って日々過ごしています。
結果、大切なことは「できないことをできないと片付けず、今の状況で自分ができることは何なのか、自分のできることに対して相手の求めているコトの差異がどれだけあるのか、そこは何でどうやって埋めたらいいのか」そこに向き合い、あきらめず、提案し、相手に寄り添い続けることだと思います。