ポジティブに自分が潰されることなく、人にウザいとも思われない、程よいポジティブを。

程よいポジティブ!を

よく、「ポジティブに!ポジティブに!」って言われます。でも、自分のできる範囲を超える程のポジティブをかかえてしまうと自分がそのポジティブに対応しきれず潰れてしまったり、逆に自分がポジティブでいたいからと人にも同じテンションで一緒に頑張ろう!と促すとウザいと思われたりすることがあります。

仕事のトリセツ

目次 1 イライラせずに円滑にコトが進むようにするには?1.1 人は受け入れてもらえると心地よい1.2 求めすぎると人を…

ポジティブって取扱いが難しくて、気持ちが落ちてるときに、あまりに元気のいい人をみると、その人がムカついたり。状況を分かりもしないくせに、もっともらしく元気を押し付けてきたと感じたり。長年許せずに悶々としていることを、許すように強要された気になったり…。ポジティブって、本人はそんなつもりではなくても、自分の今の精神状態や受け取る側の状況によってはツラさや不快感になります

自分も含め、人はネガティブでいたいときもある。そしてそのネガティブを脱するタイミングは自分で決めたい。でも、ネガティブループから人に助け出してもらいたいときもある。程よいポジティブってなんなんだろうなって長年考えていました。

程よいポジティブに大切なこと

ワタシも10年前では、ウルトラスーパーポジティブだったので、何人もの人にウザいと思われたことと思います。本当に申し訳ないです…。だけど、歳を重ねるごとに自分がやる気を完全に失って、そのポジティブに潰されてしまい、頑張ることを強要されたとき、ものすごく苦しかった。だから、自分なりの「程よいポジティブ」に気づきました。

ポジティブでありながらも、大切にした方がいいこと。それは「負の共有」なのかもしれない、と思います。

自分がポジティブなときもそうでないときも、人の中には「負の感情=ネガティブ」があることを心に留めておく。そして、気持ちが落ちてる人、元気がない人、苦しい人には、自分が持ってる「負」を一緒に爆発させてみる。何か助言をする必要もない、元気づける必要もない、共感する必要もない、ただ「共有する」ことなのかもと。それは人に対しても、自分に対しても、だと思います。

仕事でもプライベートでも、このことを少し気に留めて日々を過ごすしていると、自分自身やっぱりすごく気持ちがラクで、人からも「受け止めてくれてる感じがする」と言われることが増え、人間関係もやわらかくなったと感じます。ポジティブ過ぎると思ったら、迷わずブレーキをかけて、自分を、人を、労わりたいなと思います。