本質を捉えるという意味は「実は本質ではない」!?

物事の本質を捉える、とは?

「本質はあるようでナイ」ワタシはそう思っています。

本質のことを「相手の意図を捉える」といったふ風に使っている人がいるが、わたしはそれは「ニーズ」と思っていて、本質とは違うと思います。本質とは「人がもつ、人の道として正しい概念・定義」だと思いますその視点から考えると、結構難しい問題になってくるのです。

物事の本質を捉えることが大切だと何度も言われたことがある。でも、その度にわからなくなっていました。本質を見抜く方法っていうけれども、そもそもアナタがいうその本質が正しいと、どうやって証明するのですか?という話。それはあらゆる経験から裏付けされた確率論でしかない。結局、その世界で一番権限がもった人の価値観でどのやり方が好きなのか、どのやり方に賛同できるのか、それが本質になっているように感じます。

またまたそんな中で「私のやり方が正しいですよ」とか「私は本質を捉えられます」ってのはおこがましいのではないのかなと。なぜなら、完璧はないから。人間である限り、完璧に見えても360度くまなく探せば、必ずと言っていいほど、落ち度が見える。そうすると本質も変わって見える。結論は、「間違えがより少なくなる方法」「本質により近づく方法」といったほうが正しいと思っています。

ある限定された世界での常識が本質になってしまっている

誰も、何が本質かなんて言えない。なぜなら繰り返すようだけど、見える角度が変われば、大きな目的の中で微妙に議題が逸れたとしてそれが逸れていると誰も気づかなければ、結局本質なんて見えなくなるからです

しかも、もし本質を100%見極められる人がいたとしても、それに同調してくれる人が周りに1人もいなかったら?それは本質ではなくなる。その人の本質は「変わった価値観」や「取扱いにくい価値観」になる。本質とは、ある限定された世界での常識なのではないかと思います。なので、別の世界にいくと、その常識が非常識になり、本質自体の見え方が変わってしまう。本質は確実のようなものにみえて、実は不確かなもの、そう思います。

なので、その場所での価値観を察知して、その場所での本質を見極め対応していく柔軟さをもつ、そのスキルの方が必要とされている世の中なのだと感じています。