本質を捉えるという意味は「実は本質ではない」!?一般的には「その仕事の目的=本質」になっている!

「物事の本質を捉える」とは…、概念は2つある?!

この記事では、①物事の本質を捉えるとはどういうことなのか?②本質を問われたとき、どう対応するのか?この2点に視点を置いて説明していきたいと思います。

…ですが、その前に、この「本質を捉える」という概念は2つある、と感じています。その2つとは、1つは”道理的概念からみた本質”と、”一般的に用いられている目的という名の本質”です。

それはどういうことなのか、それぞれを説明していきたいと思います。

1つ目:道理的概念からみた本質とは?

①道理的概念からみた本質の意味とは?

本質のことを「相手の意図を捉える」といった風に使っている人がいますが、ワタシはそれは「ニーズ」と思っていて、本来の意味の本質とは違うと思っています。

では本質とは何か?それは「人がもつ、人の道として正しい概念・定義・目的」だと思います。でも、その視点から考えると、結構難しい問題になってくるのです。物事の本質を捉えることが大切だと何度も言われたことがあります。でも、その度にわからなくなっていました。本質を見抜く方法っていうけれども、そもそも、その人がいうその本質が正しいと、どうやって証明するんだろう?と。それはあらゆる経験から裏付けされた確率論でしかなくて。結局、その世界で一番権限がもった人の価値観で「どのやり方が好きなのか、どのやり方に賛同できるのか、どの結果が好ましいのか」それが本質になっているように感じます。

またまたそんな中で「私のやり方が正しいです」とか「私は本質を捉えられます」ってのはおこがましいのではないのかなと思ってしまいます。なぜなら、完璧はないから。人間である限り、完璧に見えても360度くまなく探せば、必ずと言っていいほど、落ち度が見える。そうすると本質も変わって見える。結論は、「間違えがより少なくなる方法」「本質と思われるコトにより近づく方法」といったほうが正しいと思っています。

なので、結論。
「本来の本質はあるようでナイ」ワタシはそう思っています。

②ある限定された世界での常識が本質になってしまっている、その対応策は?

本当は誰も、何が本質かなんて言えない…見える角度が変われば、大きな目的の中で微妙に議題が逸れたとしてそれが逸れていると誰も気づかなければ、結局本質なんて見えなくなるから…と、心の中では感じています。

もし本質を100%見極められる人がいたとしても、それに同調してくれる人が周りに1人もいなかったら?それは本質ではなくなる。その人の本質は「変わった価値観」や「取扱いにくい価値観」になる。本質とは、ある限定された世界での常識なのではないかと思います。なので、別の世界にいくと、その常識が非常識になり、本質自体の見え方が変わってしまう。本質は確実のようなものにみえて、実は不確かなもの、そう思います。

では、そんな不確かなものにどう対応すればいいのか?それはその場所での価値観を察知して、その場所での本質とされているコトを見極め対応していく柔軟さをもつ、そのスキルの方が必要とされている世の中なのだと感じています。

もし、どうしても自分の意見が本質だと証明したいときは、自分が誰もが認める結果をもち、自分が本質という真実になること。そこまですれば、大きな影響力をもつことができ、「アナタが正しい」と言われる傾向が増していき、その世界での本質にアナタがなることができる、と思っています。

2つ目:一般的に用いられている目的という名の本質とは?

①一般的に用いられている目的という名の本質の意味とは?

では、会社でよく言われる「本質的に考えてさ…」とか「本質からズレてない?」とかっていうのはどういうことを差しているのか?と感じていらしゃると思います。

次は冒頭の2つ目の、その視点からみた本質をご説明したいと思います。

その視点からみた本質とは?このタイトルでもある「一般的に用いられている本質」なのですが、それは会社の中、組織やチーム・部署の中で仕事の目的が決まり、その仕事の目的を「本質」と言っていることが一般的に本質と言われていることだと思います。なので、「本質とはなんですか?」と言われたら、「その仕事の本来の目的はなんですか?」と置き換えると、一番ニュアンス的には近いと思います。

ではもっと深く理解するために、”仕事の目的=本質”ということで、わかりやすく”入社式”を例題に挙げて説明してみたいと思います。

入社式の目的(=本質)は、”新入社員の入社を祝い、新入社員の士気をあげて、共に頑張っていこう”という式です。例えば、そんな入社式前の準備段階でのこと。人事部のある社員が「役員全員に出席依頼のメールを送って」と上司に頼まれ、出席依頼メールを送信した後、ある一人の役員に「役員全員出る必要はないよね?社長だけでいんじゃない?少なくとも僕は時間が取れそうにない。」と断られてしまった。その社員は、他の役員全員・社長からもOKをもらっていたから慌てて「いや、○○役員に出席してもらわないと困ります。ご出席お願いします!」と懇願し、渋々その役員は受け入れた、ということがあったとします。

このどこに本質がズレてしまっているか気づきますか?

本来の目的は、”新入社員の入社を祝い、新入社員の士気をあげて、共に頑張っていこう”という式が入社式でしたよね。それなのに、その社員は上司から指示された依頼事項を守ることがその社員の目的になってしまっている、のです。なので、その社員にしてみたら、出席してもらわないと自分の仕事を全うしていないことになるから困る、だから役員に懇願してしまった。でも、役員にしてみたら、人事が社長から何か言われたら困るから自分に出席するように言ってるだけと感じてしまい、渋々の承諾になってしまった。

では、今回の目的を捉えた上で、役員にどう言えば快く承諾してもらえたのか?

それは…
「新入社員は入社を楽しみにしています!社長をはじめ、役員の皆さんにお会いできることも楽しみにしていて、○○役員や役員皆様のご出席によって、新入社員の士気もあがります。ぜひ、入社式ご出席という形で○○役員にも新入社員の入社を祝って頂けると有難いです。」

と言えば、”入社式に出席してもらわないと人事としてのメンツを保てない”という目的から、本来の目的としての筋が通り、当該役員も「それならお祝いしよう」と快く承諾してくださるのではないかと思います。

②一般的に用いられている目的という名の本質、その対策は?

上記の通り、その仕事で設定された本来の目的を見失わないように仕事に取り組む、というのは、文章上で理解するのと、実際に仕事を遂行するのとでは見える目的が変わってきてしまうことがあります。そんなときに上司から「本来の目的を見失わないで」とか「本質がズレてない?」と言われたりします。

その本質がズレないようにする対策は、仕事を与えられたときや仕事を始めるときに、その仕事の目的=本質をメモなどに書いておくことです。そして、上記のように何か問題やトラブルがあったときには特に、「本来のその仕事の目的はなんだったかな?」とメモを見返して思い返します。そうすると、今回であれば“新入社員の入社を祝い、新入社員の士気をあげて、共に頑張っていこう”という式をどの人もニコやかな状態で執り行うことだと、自分のメモを見たら「そうだった…」と気づくことができます。そうやって常に意識して繰り返し仕事を進めていくなかで、メモを見返さなくても本質がズレていると「あれ?なんか違う…」と、違和感として気づけるようになっていくと思っています!

さて今回の記事の本質という意味、ご理解いただけましたか?!
もし、まだ理解できない、こういった場合はどうなの?というお悩みがありましたら、下記のコメント欄からお気軽にコメント頂けたらと思います!(スクロールしていくと1番下にコメントできる欄があります)皆さんが”本質”という言葉で悩まされないようにお役に立てていたら嬉しいです(;_;)/~~~