変わる覚悟の前に「認める覚悟」
「自分はこれでも真面目に仕事に取り組んできた。だから自分に限って痛い人なんかじゃない!それはよっぽどあの人の方が痛い人!ソックリそのまま、それをあの人に返します!」
そんなことを思った9年前。
何を隠そう、結果、自分は痛い人でした。
キツイですね!頑張ってきたという自負があればある程、痛い人だなんて思われることを受け入れられない。
でも、自負があればある程、いらないモノも持っちゃうんですね。
そう、それがタイトルの「プライド」です。これがまた厄介なんです。自分を素直にさせない。でも、そんなのいらないのに…。
そんなのトッピングみたいに、「プライド?あ、これ以上、そんな無駄なトッピングは結構ですッ」って客観的な自分でいたいものです。
さて、こちらの「余計なまでのプライド話」は後半にお話しするとして、よくあるパターンの上司は直接は言ってくれないけど「こういう人は管理職にはできない、昇進はさせられない」と思われている社員の特徴を挙げてみました。
もし、下記チェックリストにいくつもギクッとしたら、それこそ、ご自分のそんなプライドトッピングをお断りするときなのかもしれません。
■でも、だって、どうせ、の3Dを使ってしまう
■どんな理由があったとしても、できない、無理、難しい、で終わってしまう
■できる方法は?と聞かれ、できない理由を言ってしまう
■じゃあ、どうしたらできると思う?と聞かれることがある
■自分でなく他の要因で仕事が進まないと、自分の判断で手を止めていることが2つ以上ある
■後輩以外の社員からは風当たりが強い気がする
■部署を明らかに短い期間で転々としている
■まだできてない?あれはどうなってる?と、月に3回以上進捗確認される
■会社以外の公共の場で会社名や実名を出して会社のことを話したりすることを悪いことだとは思わない、もしくは、悪いことだと思いながらも話している
■休憩中でもない勤務中に、休憩スペース、トイレ、オフィス内などで5分以上仕事に関係のない話をしていることが月に何度かある
■社内ルールについて、よく指摘を受ける
■社内提出の書類は期限の当日に提出、もしくは期限が切れて指摘されることがあるが、所詮社内だからいいと、あまり反省はない
■「俺は私は悪くない」とよく思う
■仕事を進める際に、「○○すべき」「○○でないので、対応できません」など相手の仕事の仕方を受け止めず、跳ね返して相手を黙らせることがある
■「こうしてくれればいいのに」という希望はよく言うが、実際にチームが組まれ自分が変更していく当事者になると、変えたい!嬉しい!という気持ちより、目先の取るに足らない地味な事務作業を他の人にお願いすることが多い
■初めて会社に訪問する業者の人にタメ口を使っている、もしくは、あからさまにきつい口調で帰ってもらうよう促している
これらにチェックがいくつもついたかたは、一般的に会社が求めるとされるビジネスマインドから大きく逸れている可能性があります。
ビジネスマインドは仕事ができるための土台の部分なので、ここを変えていくことは、やはり「変わる覚悟をもつ」ということになると思います。仕事に向き合う意識というのは、とても大切なのです。
本気で変わるという意味
人は本気で変わりたいと切に願ったとき、やっと変わることができる第一歩である靴(=チャンス)を手に入れます。
そして、靴を手に入れて満足するのではなく、高く険しく思える山に登るためには、急な道、砂利道、などを突破し、進むと襲ってくる体と心の疲れにも対処し、さらにさらに、思いがけず雨に遭ってしまったら過酷になった道を工夫しながら進み、思いがけず大雪になってしまったら不本意に目的地でないところへ避難することも必要かもしれません。
しかしながら、どんなときもその問題に向き合う覚悟をもって山道を進まなければ目標は達成できません。
そんなそれぞれの場面で訪れる状況をまずは客観的に見ることが大切です。
そして、できていない部分や指摘されたことに関してはツライかもしれませんが「今の自分にはできないんだ」とまずは今の自分の状態を認めること、そんな自分を受け入れること、そんな勇気と覚悟がとっても大切です。
そうでないと結局、「そんなにできていないはずがない、もっとできているはず、俺は私はこんなんじゃない」となってしまい、リストにあるようなことが起き始めます。
そうすると、周囲との折り合いは悪くなる一方で、結果、会社に居づらくなってしまいます。
どんな自分も受け入れる
つらいことです。
できない自分を認めるなんて…。負けを認めているようで悔しい…。
では、次のような話を聞いて、みなさんはどのように感じるでしょうか。
プライドが「変化」の邪魔をする
とある会社の、とある一般社員の、とある日のことです。
会社の根幹となる「あるプロジェクト」に、その主導権を担う部署からお声がかかりました。
そのプロジェクトには唯一自分の部署から自分だけが誘われたこともあり、もしかして認められたのかもと、少しの優越感を感じながらウキウキ・ワクワクしながら、そのプロジェクトに参加をしました。
ところが、プロジェクトが進んでいくと、そのリーダーと仕事の進め方の反りが全く合わない…。
全く思い描いていたようにプロジェクトが進まない。何か打診してもスルーされてしまう。経営層からは進捗状況がマズイのではないかと確認が入る。
そんな状況にイライラは日に日に募っていきました。
すると、なんと普段はしないようなミスを連発してしまったのです!
でも、いつもならしないミス。絶対にしないようなミス。こんなミスをしたのはリーダーがそのミスを誘発したも同然。完全にリーダーの責任、そう思いました。
そう思って疑わないので、リーダーに個別に呼ばれて事情を聞かれた際に思わず、「いや、いつもはこんなんじゃないんで。」と口走ってしまいます。
リーダーは静かに「いつもは違うか…。う~ん、でも、この状況でできなかった、それもあなたの実力、結果だと思うけど?」と言われ、完全に頭に血が昇りました。
それ以上言い返しはしなかったものの、心の中で叫びました。
『いやいやいや、自分の部署ではこんなんじゃないし。そんな扱いされたこともないし。むしろいつも褒められてるし。よっぽどそちらの部署のやり方のほうがおかしんじゃないの?』と。
そして、1年が過ぎた頃、同じ状態に陥った同期と仕事を一緒にする機会があり、そこではじめて違和感を覚えます。
1年前のあの時の自分と同じように、ずっと「自分は悪くない」と言っています。聞いている第三者になると、見え方が変わるなと思いました。
確かに理不尽な状況かもしれない、でも、状況が変われば、評価も変わる、状況が変われば、それに対応する。それに対応できなかった人、「自分はその状況ではできなかった」ただそれだけのことだったんだと。
なのに、自分のパフォーマンスを出せなかったことを頑なに認めたくなかっただけなんだと気づきました。
自分が全否定されているようで、そしてミスをしたというのを皆に知られるのが恥ずかしくて自分を正当化していただけなんだ、そこが許せなかったのだと気づいたのです。
と。これは、誰の話か?お恥ずかしなから、これは筆者の話です。そうです、冒頭の「後半のお話」とはこのことでした。
この事から、学んだのは次のようなことです。
それは、
素晴らしい自分もいる、でも、ダメな自分もいる。
できる自分もいる、でも、できない自分もいる。
どんな自分も受け入れる。
そのときはじめて「変われる」。
変われたことで、前に進むことができ「またもう一つ俯瞰的(ふかんてき)に物事を見られるようになるのだな」ということです。
人は長所もあれば、欠点もある、それを初めて本当の意味で受け入れることができました。
そして、こんな経験があったからこそ、「起きた事」に対して「事実だけをまずは受け止めてみる」「自分の否を認めてみる」ということがどれだけ大切なことかを知りました。
認めることができなければ、自分は悪くないという結論で終わってしまうことになります。
そうすると「誰から見ても素晴らしい完璧な自分」というプライドはどこかで必ず亀裂を生んでしまうということを知りました。
今回のように、人に気づかせて頂くパターンもありますが、大切なのはやはり自分から「変わりたい」、自分を「変えたい」、と切に願う気持ちです。
それはどんな自分も受け入れる覚悟、でもあると思います。
なかなか難しいことですが、そこから抜け出せたとき、逆に肩の荷が降りたように軽くなり、さらに前に進む足も軽くなるように感じています。