何を目指すにしても、思いの差だけなのかもしれない

思いの差が生み出す偉大なる結果

何を目指すにしても結局、「思いの差」こそが大切なのかもしれない。と、そう思います。

思いが強ければ強い程、意識が強ければ強い程、そこに確固たる道が生まれます。どんなジャンルでも、頂点に立った人というのは、思いや意識が強い。自分なりのモチベーションの捉え方で突き進みながら、そこに「思い」「意識」を強く持ち続けたからこそ、事を成すことができる。日々の思いの差が生み出すものとは、とんでもなく偉大な結果になるのだなと感じます。

そのことを裏付けるかのように、先日、大観衆に猛烈な喝采を浴びながら引退した野球界のレジェンド「イチロー選手」も以前次のように語っていらっしゃり、感銘を受けたことがあります。

小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。

有言実行で有名なイチロー選手が、毎日どれだけの「思いの強さ」をもって過ごしていらっしゃったのか「結果がそれを示している」というのがカッコよすぎてシビれてしまいます。

人間だから、弱気になることもあります。不安になることもあります。何もやりたくないと投げ出したくなるとこもあります。有名人と自分はレベルも違うし、自分は大した仕事をしているわけでもないし…。そう思ってしまいがちです。

でも、そこで一歩踏み止まることができたら?そこで思いを強く持てたら?そして、目の前のその「小さいと思えること」を「積み重ね」たら?きっと未来は違うものになります。立ち止まったとしても、回り道をしたとしても、最終ゴールを描き続けていたら、いつかきっと到達することができるだと思います。

想像できることしか実現しない

この「思いの差」で、とても好きな話があります。それは、あのディズニーランドで有名な創設者ウォルト・ディズニー氏の奥様が彼の死後に放った言葉です。

ウォルト・ディズニー氏はディズニーランドが完成する前に亡くなってしまうのですが、ディズニーランドが完成したとき、ある記者がウォルト・ディズニー氏の奥様に「きっと彼はこの完成を誰よりも見たかったでしょうね」と言ったところ、奥様はこう答えたそうです。

「いいえ、彼は既に見ていました」

この話を本で読んだとき、身震いしました。出来上がる前に既に完成されたものが忠実に頭の中で描けていたのだと、ただそれを再現しただけ、奥様の言葉の意図はそういうことだと解釈しました。こんな風に思いを貫けたら、本当にカッコいいなと思います。

毎日を過ごしていると、「もうやりたくないなぁ」「来週から頑張ろう」「やりたいことが見つかったら」などと思いながら1ケ月2ケ月過ぎることがあります。でも、永遠に思える人生も明日ある補償なんてないんですよね。それなら、今できることを丁寧に、迷ったら手を動かす、そうやって大切に行動していきたいです。