許せないときは許さなくていい!苦しみがパワーに変わる方法

許さなくてもいい

社会人が長くなってくると、あり得ないような最低な人に、あり得ないようなとんでもない仕打ちを受けたことがある、という人もいらっしゃると思います。そういったドン底に突き落とされるような仕打ちは、とてもじゃないけど簡単に許せるものでなかったりします。

そんなとき…
■なんで、こんなヤツに自分が我慢しないといけないんだろう!
■こんな理不尽なことはない、自分は何一つ悪くないのに悪者扱い!
■あいつは絶対に許せない!自分を侮辱した!
■あんなにやってあげたのに、感謝1つもないなんて!

そういった気持ちになり、許せず、腸(はらわた)が煮えくり返ります。起こった事が自分の中でマイナスの衝撃が大きければ大きい程、それは比例し、悔しくて悔しくて眠れない、平常心でもいられない、振り払おうとしてもその感情がすぐに沸点に達する、そんなときはその怒りをどこにもっていっていいのかわからず、本当にツライかと思います。

だから頭の中には常に、その人が絶対立ち直れないようなことを言ってやろうかと、自分がされたことよりひどい仕返ししてやろうかと、それはそれは負の感情しか沸き起こってこないことかと思います。

そんなにもあなたを苦しめ、そんなにもあなたを落とし入れた人、許さなくてもいいと思います。恨んで恨み通して、一生許せないし、許さない、その感情に同意します。

心の中での感情はあなただけのもの

でもワタシの場合、それを思うのは「心の中だけ」「誰もいないところで叫ぶだけ」「本当に信頼のおける人に話すだけに留めておく」ということにしてます。そんな程度の低いところで闘ったところで、仕返しという行動をとってしまたら、自分が精一杯突き通していたその「美しかった正義」でさえ、汚れてしまいます。

ただ、「許す」というのは安易すぎる!と思っていて、簡単には許せるものではありません。苦しめられた自分のその酷く苦しい気持ちはどこにもっていけばいんだろうと思ってしまいます。頑張って、頑張って、頑張り抜いた自分が、どうしてこんなツライめに遭わなければならないのかと思ってしまいます。しかもさらには「許すこと」など、とんでもない話だと思ってしまいます。

ここでお伝えしたいのは、仕返しという行為をしなければ「思うのは自由」ということです。もし許せるなら許してあげる、それは一番の理想論だとは思います。でもそんなに心広く、器を大きくなど生きられるでしょうか。自分がその立場だったときのことを思うと、到底そんな気にはなれなかったですし、さらには当人でもない第三者に「許してあげなさい」と言われても、「この人に何がわかるんだろう?」と反発したくもなります。

あなたの美学があなたを救う

そこで思うことは、この仕返しの労力を自分のために使う、という発想です。

負の気持ちというのは、あるときはものすごい驚異的なパワーになります。そのパワーをあなたのこれからの素敵な未来のために使う、というのはいかがでしょうか。そうやって、仕返しをプラスの仕返しとして転換した、あなたのそのものすごい忍耐強さを「あなたの美学」とするのはいかがでしょうか。

最初は誰も味方してくれなくても、その美学はいつしか、あなたの表情を慈しみのある人相に変え、それがオーラともなって、引き寄せたいを人を引き寄せていくと思っています。その負の感情を利用して、逆にもっと高みに登ってやったほうが気持ちよい結果になる、そう信じて真摯に居続けると、必ず誰かが見てていてくれたり、かばってくれることがあります。そして「あなたを深く理解し、支えてくれるかけがえのないソウルメイト」との出会いが待っていたりする。意外にも、この「人を許せない」ときこそ、もっと素晴らしい価値観や人に巡りあるチャンスということも、あるかもしれません。

この「許す」ということに対しての考え方は様々で、どれが正解などとは言えないところもありますが、この記事を読んで、少しでも気持ちが楽になったり、少しでも自分のためにエネルギーを使おうと「前に一歩踏み出してもいい気になった」という風にプラスに働いてくれたら嬉しいなと思います。